意図的かどうかは不明ながら、各地での大規模な、多数のデモのことは、テレビでは余り報道されませんでした。
反・脱原発がそろそろ大きな流れとなってきた背景には、時間が経つにつれて様々な過去の事情が判明してきたことと、原発がいかに非人間的な装置であるかを痛感したからでしょう。
また一旦異常が起こるとどういう事態になるのか、そして、心ある専門家や息の長い活動をしてきた人たちがようやく目立つ場所で取り上げられ、その説得力のある主張に触れる機会が多くなってきたからでしょう。
日本で起こったこの「非常事態」に正しく反応したのは、皮肉なことに外国の国民でした。ドイツも、イタリアも。
その結果を「集団ヒステリー」と呼んだのは自民党の石原幹事長です。民主党でさえ、原発推進派は多数なのです。
勿論、それは東電が巨額の資金を各方面にばら撒いてきたからに他ならず、それは学者から議員、マスコミにまで及びます。
福島の原発は、まだ最大の危機を脱したとは言い切れないのです。それに、いまだに冷温停止のめどは全く立っていません。
これから台風や大きな余震でさらに建物が崩れ、高濃度の汚染水が溢れ、さらなる崩壊が起こったら、もう誰にも放射能の拡散を止めることはできないのです。チェルノブイリを越える被害が現実のものとなるのです。
喉元を過ぎたからと言って、奇妙な楽観は決して許されません。今のままでも、高濃度の放射能がじわりじわりと人々を脅かしています。
食べ物も汚染され続けています。この終わりの見えない恐怖は一体どうして起こったのでしょうか。
このまま電気を湯水のように使い、便利な暮らしと引き換えに、命を危険にさらし、子孫に放射性廃棄物を大量に残すようなことを、誰が望んでいるのでしょう。
原発のない世界の実現に、面倒な理論は不要です。誰もが人間らしく、安心して暮らせる世の中が欲しい、それだけで十分ではないでしょうか。
それでもまだ原発推進派は強力で、一部雑誌もまだ原発擁護を鮮明にしています。原子力村の「専門家」に流されることなく、覚悟を決めて、頑張る時がやってきたのではないでしょうか。
大切な人たちのために、誰もが安心して暮らせる世の中は、自分たちで選び取って作っていくべきなのです。
p<> その時、大きな力となるのは、今日まで逆風に耐えて反原発、脱原発を唱えてきた専門家の人たちです。彼らの変わらぬ声に、謙虚に耳を傾けるべきなのです。途中で宗旨替えするような、いい加減な「反」原発「学者」にも要注意です。
最近読んだ本では、「原発のウソ」が大変分かりやすくまとまっています。
京大でずっと反原発を唱えて行動してきた筆者の発言をまとめたものです。まず1冊読もう、という場合にお勧めします。
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